おはようございます。
昨日は引っ越し直前、地元の数少ない友達と遊んできました。
アルバムもらったり、お好み焼き食べてワイワイしてくだらないことで馬鹿笑いしてきました。
実家に「住む」のは今日が最後。
思えば7年間と短い期間で、お世話になりっぱなし。
色んな事、書こうか迷ったんだけどいい節目なので書こうと思います。
時間ある時にでも読んでね。
小6の時初めてギターを買った。
よくある話で兄とその友達の影響、思えばバンドを組みたいと思ったのはその時から。
175Rに憧れて、3B LAB☆に憧れて手にしたのは黒のレスポール。
ひたすらに弾いた。当時キャプテンを務めていたサッカーなんてそっちのけでとにかく好きな曲をコピーしまくった。
田舎だったからどんなに大きい音を出しても怒る人はいなくて、肝心の両親さえ上達していく俺を見て喜ぶ始末。
そんな両親の喜ぶ顔が嬉しくってさらに弾いた、二人の好きだった曲ももちろん弾いた。
二人は優しくてたまにすっげー厳しくて、芯の通った素敵な人たちだと今でも思う。
「やりたいことをやれ」口癖みたいに二人は口を揃えて言ってきたし、甘えてたのかもしれないけど俺自身そうしたいと思った。
そんな両親は俺が中1の頃亡くなった。
理由や原因は伏せるけど当時13歳の俺には受け入れがたい出来事で、毎日一緒にいた人がこんなにも急にいなくなるなんて思わなかったし、突然すぎて涙もしばらくは出なかった。
状況も理解できないまま町を出て兄貴と二人、今の家に引き取ってもらう形になって、転校して、慣れない親戚との関わりにイラついてもどうしようもなく、ただ生きていくしかなかった。
そこでもやっぱり俺の励みになってくれたのは音楽で、やっぱりギターを弾いた。
少しずつ歳を重ねていくなかでいろんな音楽や人に出会った。
Hi-STANDARD,SHAKALABBITSだったり幅は狭かったけど色んなものに手を出した。
自分のことしか考えられない人、人を支配しようとする人、恐ろしいほど人の話を聞かない人もいた。
そうやって色んなものに、人に囲まれて生きる中で「嫌いなもの」と「なりたくない人」を見つけて、少なくともそうはならないように気を付けた。
気づかないうちにそうなっていたこともあったし、誰かを反面教師にして生きてきた。
まだ人生を語れるほど生きていないし、人生の到達点すら見えるはずもないんだけど、自分が生きてきた人生くらいは語りたいし、いつだって誇れるような過去を作りたい。
話がそれたけど、中学生時代は真面目に部活やってたけど、その過去を背負ってしまった自分がどうしようもなく恵まれない人間だと思ってた。
それでも二人が喜んでくれたギターは好きだった。
バンド組みたくてmixiで同じ高校に行くやつでよさげなやつに声かけた。
そいつは兄貴がいて、その兄貴のライブがあるから行こうと誘われて人生初のライブハウスへ。
熊谷HEAVEN'S ROCK VJ-1
夏のクソ暑い日で何も知らない俺はサンダルを履いてライブハウスに行った。
赤くて重たい扉から漏れてくる重低音に心底ビビッてたし、未知の世界すぎてヤバかった。
意を決してドアを開けると、そこはテレビですら見たことのないくらいチカチカした照明で溢れていて、聞いたこともないような爆音で人間を飲み込むフロアだった。
「葵ROCK」という高校生限定のライブイベントで、総勢10バンド。
そいつの兄貴のバンドはもちろん、みんなかっこよく見えて見渡す限りどいつもこいつもロックスターだった。
結局、慣れない爆音に頭痛、吐き気に襲われ途中退場。
それから一年が経って、そいつの兄貴のいた学校に入学して、軽音楽部に入ってバンドを組んだ。
DOUBLE DRIBBLERっていうクソださいバンド。
でも俺らの音楽が好きだって言ってくれる人はたくさんいてくれたし、我ながらこの辺では一番カッコイイと信じてたし、何よりも初めて組んだバンドを嫌いになんてなれるはずもなかった。
でも群馬のライブハウスに出演するようになって、上には上がいすぎる事を知った。
今のKAKASHIのメンバーも全員そこらへんで出会った奴ら。
ライブハウスでたくさんの人に出会って、今でもその関係は続いてる。
初めに地元の友達って書いたけど、ほとんどはバンドを通して出会った人たち。
友達はみんなバンドをやめて、自分のやるべきことを始めた。
言いたいことが我ながら支離滅裂すぎます、すいません。
とにかく、バンドをやめても付き合える人たちに出会えてよかったってこと。
本当に嬉しかった。やはりブログなんぞでは書ききれないし、語り尽くそうとしても語り尽くせない!
なによりも、今の今まで支えてくれた人たちにちゃんとありがとうを言いたい。
7年間お世話になったこの家と、育ててくれた叔父さんにちゃんとありがとうを言葉にしようと思います。
専門学校に入学させてもらって、就職もせずにバンドをやるのは申し訳ないことこの上ないんだけど、それでも両親の口癖を信じて、根拠のない自信を持ってずっと音楽続けたいなって思うし、続けます。
同い年くらいの人、この年になると嫌でも親のありがたみって実感すると思う。
喧嘩したっていいし、嫌いでも苦手でもいい。
それでもあなたのお母さんとお父さんはこの世に一人しかいないこと、もう一回再認識してもらえたらな、と思います。
大切にできなくても、親孝行してやれなくても、「大切だ」ってそう思っていられればいいんじゃないかなあ、と俺は思います。
とりあえず、引っ越し前にこの部屋で書きたかったことは乱雑かもしれないけど書いちゃいました。
両親のこととか書くのはどうかなって思ったんだけどこのブログを読んでくれる人ってきっとそういうことだと勝手に思って書きました。
誰に否定されても俺が俺でいられる強さを持ちたいと思います。
過去の辛かったことも楽しかったことも、これから起こる辛いことも楽しいことも、人生っていうたった一つのドラマを作り上げる誰にも決めることのできない自分だけのものだと、俺はそう思います。
全部「ドラマの主人公みてーだな」って笑い飛ばしてやる。
だって主人公だもんな。
誰になんと言われても最後に笑うのは俺でいるぞ。
またこっから新しいスタートを。
人生めっちゃキツイけど頑張ろう。やってやろう。
ここまで支えてくれたあんたの自慢になりたいんだ。
やるぞ。
ここまで読んでくれてありがとう。寝る!!!