しばらく放置していたら「そうたさんのお悩み相談室」の質問箱にログイン出来なくなっていた。
執筆というほど高尚なモノでもないけれど、執筆欲がしばしば出てくる。
「そうたさんのお悩み相談室」書籍化はまあもういいだろ。
と、いうような感じで最近色んな事が前にも増してどうでもよくなっている。
これはネガティブな意味ではなく「これだけは」というものが絞られてきたような心地がしていて、「それ」以外はまあ別になんでもいいと思っている。
前々から俺は「なんでもいい」が口癖だった。
それは自分の希望が通らない事への予防線だったし、結構本当になんでもいいと思っていたりしたし、あんまり興味がなかったりした。
だけど、あるタイミングでそれは自分の人生を自分で決めていないという事なんじゃないかと思ってから、なるべく言わないように心がけて暮らした。
「なんでもいいはずがない」と、100ではなくても5や10があれば「これがいい」と口にした。
そうして手にした5や10はやはり自分にとって大したものではなく、ぞんざいに扱う事が多かった。
しまいには「別に絶対じゃなかったしな」とか言い出す始末。
手にして結局ダメにするのなら「手にしない」という選択肢を持つべきなんだと思った。
けれど「要らない」とは思えなかった。
そうなってしまったが最後「要らなくないけど、まあなんでもいいかな」という着地を迎える。
「欲しがって手にしたもの」
「欲しがってないけど手に入ったもの」
自分の中で明確に価値が違う事に気が付いた。
冒頭で述べた「これだけは」というものは大体が「欲しがって手にしたもの」であった。
稀に「欲しがってないけど手に入ったもの」がメチャクチャ大切になる事があるけど、それは奇跡。
自分の手にあるものは「欲しがって手にしたもの」で満たしたいのかもしれない。
だからこそ俺の「なんでもいい」は復活した。
だけどその実、中身は全く違う。
今の俺の「なんでもいい」は
「それは別にあっても無くても構わない、だけどこれはこうしたい」
という意味が割とワイドめに含まれている。
自分が欲しがったものの方が責任感も生まれるし。
だから今、大体の事はなんでもいい。
ただ、深く深く自分と向き合った時に「バンドをやる」という事だけは譲れないんだと、心からそう思った。
どうせやるなら売れた方が面白い。
どうせやるならカッコいい方が面白い。
どうせやるならこだわった方が面白い。
あとは基本的に何でもいいッス。
この適当さが、適当な奴として伝わらない為の努力は必要だと思っているけど。
それもまあ極論「なんでもいい」んだけど。
という堂々巡りが終わらなすぎて書いてみました。