トゥイッター(ひろゆき風)で何回目か、下手したら100万回くらい見たんじゃないかと言う「ライブハウスのノルマ」論争の1,000,001回目を見た。
俺も高校1年生からライブハウスに出させてもらっているけれど、もちろん当たり前のようにノルマを払い続けてきた。
総額とか考えるとたまにゾっとするくらい払ってきたと思う。
高校生の頃、最低賃金720円のコンビニバイトで稼いだお金は90%くらいノルマとして出て行った。
当時は友達を呼ぶしかなかったけど、1500円程度のチケットは高校生には高額で「お金を払ってもらってコピーバンドのライブを見てもらう」事が申し訳なくて、卒業イベント等以外はチケットを無料で渡したあげく「来れそうだったら来て!」とお願いする始末。
金銭よりも見てもらう事が、一緒にライブハウスで過ごす事が第一だった。
もちろんバラまいたチケット代はバンドのメンバーと人数で割って自腹。
でも違和感が無かった。
友達に飯奢ったらすげー高かったけど、楽しかったからいっか!
的な感覚で「遊びに行く」と同義だったと今は思う。
時が経って、自分で作った歌を演奏するようになって、フリーターでバンドをやっていると「遊びに行くために払っていたお金」だったノルマがどんどんと形を変えてきて(こっちの見方が変わっただけなんだけど)いわば「不人気の代償」みたいな存在になった。
論争のように「キツイ」「しんどい」「お金ない」と何度も思って、じゃあ人気者になればいいんじゃん!と思ったけど中々なれない。
MOROHAの歌に「お客さんを諭吉で見てるような気がするんだ」というようなフレーズがあって、その時初めて「お金を払って自分の歌を聞いてもらう事」のありがたさと重さと難しさを思い知った。
ノルマキツい→客を呼べばいい
という方程式はまるでチケットノルマをお客さんに肩代わりさせているような心地がして胸の奥がズンとなったのを今も覚えている。
だけど
自分の歌聞いてくれる人に?金を払わせる????
という感情はただ「自分の歌には1円の価値もありまへん!」
と言っているようなもので
じゃあどうするかっていうとチケット代、交通費、ドリンク代、果てはその日の飯代すらも余裕で払えるわ!!と思わせるだけのライブをするしかない。
つまりは冒頭で書いたような「高かったけど楽しかったからいっか!!」というあの日に自分が感じた気持ちを持てるような1日を届ければいいんだ!
と思ってからはノルマを支払うことはそういう意味で自分の実力不足だと思うようになった。
「集客不足」って考え方、言い方は好きじゃない。
「自分たちに出来ることは音楽で返す事です!!」
って言うならそうすればいいのに、ってだけの話のはずなんですよね。多分。
あと普通に音出してくれる人(PAさん)がいて、照らしてくれる照明さんがいて、あなたの大事なお客さんを受付してくれる人がいて、ドリンク出してくれる人がいて…他にもたくさん。
えっ、もしかしてただ働きさせる気ですか!?!?!っていう気持ちです。
「そう言う事じゃない!」って言われても
「あなたが言っていることは極端な話、そういう事になるんすよ(ひろゆき)」って思ってしまう。
もしかしたらまだまだ俺の視野が狭いのかもしれないけど(という予防線)
それでもまだ異論がある人はNOWEATHERというバンドの「Blue」という曲を聴いてください。
なんかもうそれが全てです。
以上、毒にも薬にもならず、読まなくても見せなくてもいい話でした。
お目汚し失礼しました。
明日は前橋DYVERでKAKASHI企画です!!