今までの自分のブログ見返してたら47都道府県の事を48都道府県って書いてあってドン引きした。
勉強が出来ないのと、常識を知らないのは似てるようで全く違う。
どこからが知識で、どこからが常識なのかは人それぞれだけど。だからめんどくさいんですけど。
去年の暮れに、叔母が亡くなった。
書くか書かないか迷ったんですが、この気持ちを残しておきたくて書くことにしました。
俺が13歳の頃に両親が亡くなってから叔母と叔父が両親代わりだった。
叔母とは一緒に暮らしては居なかったものの、事あるごとに顔を出してくれたり、気にかけてくれたり本当の本当に救われていた。
叔父も2年前に亡くなって、俺は両親を二度亡くしたような心地だった。
被害妄想かもしれないけれど、俺の周りはとにかく人が亡くなる。
思い返せばここ数年は毎年近しい誰かが亡くなっているかもしれない。
余談でした。
中2で転校が決まって通学初日に「行ってらっしゃい」と送り出してくれたのも
母の葬儀で、母の代わりに俺を抱きしめてくれたのも
中学で少しやらかしてしまった時に一緒に謝りに行ってくれたのも
高校、専門学校と面倒を見てくれたのも
何もかも全て叔母だった。
母代わりというか、ほとんど母だった。
変な話ですが、13歳で両親亡くして親戚の家で男兄弟2人で引き取ってもらって転校してとか、他人事として聞いたら絶対そいつグレる気しかしない。
でも俺はそうはならなかった(という自信がある)
幼いながらに感謝していたし、グレても別に両親は生き返らないと思っていたから。
超グレて時間が戻るんなら堀越卍リベンジャーズしますけど、無理なので。
その頃の俺と言ったら「親なんているだけで幸せ、感謝しなくちゃ」とか思っていましたが
世の中にはどうしても折り合いのつかない家庭がある事も知ったし、俺から見てとってもいい親でも子どもからしたら違う事もあるって知った。
大切に出来るなら、なるべくした方がいいんじゃないかな、とは今でも少し思うけど。
叔母はとにかく色んな事を助けてくれて、教えてくれて、叱ってくれた。
俺は散々、散々面倒見てもらって何も返せていなかったと思う。
焼けたお骨を見て「もうこういう時に抱きしめてくれる親のような人は居ないのか」と思ったけど、集まった親戚の中には小さな子どももたくさん居て、俺はもう「抱きしめられる側」じゃなくて「抱きしめる側」なのかもしれないと思った。
こういう所がいつまでも子どもだったんだな、って反省した。
失くしたものが自分にとって大切なもの、それが自分の周りにとっても大切なものであった時、開口一番に「悲しい」って喚くよりは周りに「大丈夫か」って気遣える人間でありたい。
我慢じゃなくて、そうしたい。
最後の最後まで、教わった。
俺はあの日から「抱きしめる側」の大人になったんだと思う。
そうしてもらえたんだと思う。
悲しい時に笑えなくても、同じ悲しみを持つ誰かに寄り添えるように。