最近猫背を直そうと躍起になっている。
整体とか行けばすぐ直るのかもしれないけど、日常的に「あ、背すじ曲がってんな」と思ったらグッと伸ばすようにしている。
腹も気持ち引っ込んだし、背も少しだけ高く見えるし、シャンとしていい感じ。
ただ猫背で慣れた体を無理やり真っ直ぐしてるもんだから腰痛がヤバい。
普通に立ってるだけなのにビキッとくる。
歳だとは思いたくないけど、歳なのかも。
「背すじ伸ばして生きろ」
と言われて育ってきたけどそれは多分物理的な話じゃなくて気持ち的な事なんだと思う。
高校生くらいの頃「ちょっとダルそうな男」がカッケー!と思ってたからわざと少し猫背で過ごしていたら染み付いてしまった。
後悔しないように生きるって難しい。
この人生で1番の後悔かもしれない。小さい。
昨日、今日と大阪セカンドラインでライブだった。
昨日は後輩のArakezuriのイベント。
今日は先輩のCHERRY NADE 169のイベント。
未来を切り拓く後輩も居れば、足を止める先輩もいる。
そうやって時代はどんどん変わっていくんだと強く実感した2日間だった。
もちろん活動休止も、個人個人の未来を切り拓く為ではあると思うけど。
チェリナと出会ったのはTSUTAYA O-Crest(以下クレスト)で、めちゃくちゃブッ飛ばしたライブしてて歌うまくて演奏カッコよくてMC良くて非の打ち所がないバンドってイメージ。
今もそう。
クレストに出始めて10バンドくらい出るイベントの大トリでチェリナが最前列から1番後ろまで1人残らず本気で拳上げてるの見て、壮観すぎて泣いた記憶がある。
俺もこういう景色をクレストで作りたいって思った日だった。
それから何度もツアーに出てもらったり、何度も超くだらない事で腹抱えて笑ってたりした。
それが無くなるというか、明確な"過去"になってしまうのが寂しいんだと思う。
「活動休止なんて気休め言わずに解散で諦めさせてくれよ」
ってスタンスで普段はいるけど、チェリナ含めたいくつかのバンドには
「活動休止でいてくれてありがとう」
と思う。
今日だって目が覚めて少し経つまでは
「止まるバンドに用はない」
みたいな事思ってたけど
「一旦最後の対バンなのか」
と思うと寂しくて、そんな気持ちで臨むのがなんか凄くもったいない気がした。
大体の事は失ってから大切さに気付くけど、コロナ禍で大切なバンドがいくつも居なくなって失う事に少しだけ慣れてしまって、同じように少しだけ失う前に向き合って愛する事を覚えた。
こんな事で気付きたくなかったけど、おかげさまでしっかり送り出せた気がする。
誰がどう生きようが勝手なのと同じように
バンドがいつ始まっていつ終わってもバンドの勝手なんだと思う
超寂しいし辛いけど、俺は大好きな人たちに対してはその勝手さえ受け入れて愛したいなと思うし、そう思えるほどの人が周りに居るのは幸せだなと思った。
いつかチェリナが帰ってきた時にまだライブハウスに居られる自分で居たいな。
今日もチェリナはいつも以上にカッコよかった。
活動休止が決まってもなお、チェリナはまだ今を戦ってると思うな、俺は。
勝手に待ってるから、勝手に帰ってきてくれたらいい。それがいい。