3/24は母の命日で墓参りに行ってきた。
行きがけに花と線香と供え物、掃除用具を買った。
お墓の近くには、昔住んでいた家があって、今はちょっとやんちゃ系な人が住んでいるような気配がする。
チームLOVEって書いてあるステッカーが車に貼ってあったし。
到着してお墓を見ると、供え物はないけどまだ新しい綺麗な花が挿されていた。
「先に誰か来てたんだ」
と思いつつもお墓の掃除を始めた。
今まで墓参りといっても、花と供え物と線香置いて合掌して帰ってくるくらいで掃除なんてした事なかった。
誰かがやらないとやっぱり汚れるんだなと思ったけど、俺が今までやってこなかったのにこの程度の汚れだって事は、誰かがやってくれてたんだと思った。
誰かが自分の母を想う気持ちが、目に見えた気がした。
俺が13の頃に逝ったから、今年で15年。
俺はまあ実の子だからもちろん忘れた事はないけど、時間が経っても花を添えてくれる誰かがいるのは幸せな事だなあ、と思う。
自分がもし墓に入る日が来て15年経ったとしたら、誰が花を添えてくれるかなとか考えたりしながら墓石の掃除が完了。
別に俺は熱心な仏教徒ではなく、法事の読経にもあくびが出るし、供養とかは正直まだよく分からない。
でも追善供養って言葉があって「生きている人の善行が故人の善行になる」らしい。
これが背負うという事なのかも、と思うと身の引き締まる思い。
合掌して頭の中でいつも言う
「俺はもう少しバンドやるよ」と。
もちろん返事は無く「聞こえたような気がする」なんて美談もないけど
どうせ「やりたいようにやれ」と言われるのは目に見えているから大丈夫。
「俺もいつかこの墓に入るのか」
「『私のお墓の前で泣かないでください、そこに私はいません』ってフレーズ、マ?」
「15年間コーラとコーヒーお供えしてるけど、今めちゃくちゃ虫歯なのでは説」
「いつものデミタスコーヒーなかったな」
「俺は天国に行けるのだろうか」
「俺が天国に行けたとして、果たして両親は天国に居るのだろうか」
とか、そんな事を考えていたら帰宅していました。
おわり