soutroll's blog

そうたさんのお悩み相談室&日常

ライク ア ローリングストーン

仲間のバンドの音楽が車のラジオから流れると、バイトの配達中の車を停める。

どうして俺は今、こんな事をしているんだろうとハンドルに頭を埋めたその直後、ラジオから「飼い馴らせ不安をこの歌で。」なんて聞き慣れた声で歌われるもんだから、また車を走らせる。

何をどうすればいいのかは分からないが、一つだけ分かっているのは「やるしかない」という事だ。

 

一週間後、初めて全国のCDショップに自分の音楽が並ぶ。

世の中的に考えたら小石が転がる程度の話なのかもしれない。

でも自分の中では月面着陸くらいには大きな、偉大な一歩だ。

その世間と自分との温度差を不安と呼ぶのだと24にして初めて気付く。

 

俺は、高校生の頃からバンドに明け暮れていた。

家に帰っても、友達の家に遊びに行った時も、絶対にギターを抱えていた。

それは、今思えば若さなのかもしれないし、それこそが本物の情熱ってものなのかもしれない。

否応なしに過ぎていく時間は、高校生の俺に青春の終わりを告げた。

受験だから活動休止になったクソダサい名前のバンドは、今もまだ時間が止まったままだ。

いつしか俺も大人になって、専門学校を卒業したらしっかり働いて、お世話になってきた色んな人に孝行しようって本気で思っていた。

思っていたのに、今はこうだ。

 

フリーター自称バンドマン

いわゆる夢を追う若者。

 

十代の頃、こんな生活を夢見ていたし、どちらかと言えばこんな生活をする方が無茶な話だと思っていた。

誰が許すだろうか。

就職もせず、バンドだけで飯を食おうと思うだなんて、誰が認めるだろうか。

そんな若いながらにも少しだけ顔を覗かせていた世間体とやらに迎合する他に道は無いと思っていた。

みんなも言っていた。

「やりたいけど、出来ないよ」って。

 

歳を重ねるほどに、人生は嘘みたいに自由だって知った。その自由には責任が付きまとう事を知った。

嘘みたいな自由を、本当に嘘にしてしまうのは自分なんだって知った。

風当たりは思っているよりも強い事を知った。

だけど、それでも応援してくれる人もいる事を知った。

年が明けて地元に帰って、地元の友達と年甲斐もなく深夜のファミレスでずっと馬鹿みたいな話をしていた。

「全国流通するんだって?おめでとう」

そんな事言ってもらえると思わなかった。

あとでCD渡すよ って言ったら本気で喜んでくれた。

お世話になってた先輩の家に勝手に突撃してCDを渡したらこちらも喜んでくれた。

 

高校の頃、俺に「颯太にはずっとバンドやってて欲しいな」って言った人がいる。

俺はその言葉が嬉しくて、応えたくて、その言葉に支えられて歩いてきた。

何の気なしに放った言葉だとしても、俺は嬉しかった。

 

俺、本当はもっと笑われていると思ってた。
もっと馬鹿にされていると思ってた。
いつまでやってんだ って言われると思ってた。
就職しないの?って聞かれると思ってた。

 

全部違った。みんな味方だった。

 

 

 

小石が転がり続けてどこまで行こうと言うのか。

1cmの前進を月面着陸だなんて思い込んでる小石がどこまで行けるというのか。

 

どこまで行きたいの?

聞かれたら俺はもう胸張って言える。

 

どこまでも行きたい。